Nのために

80代のあのかわいさはなんだろうか。
薄黄ばんだ白い帽子と、釣りかとつっこみたくなるベストと、時計内蔵のベルトと黄ばんだズボン。
皮の垂れた顔としわくちゃの笑い顔。

口ではようよう聞くと腹立つことを言っているんだけど、話し方がかわいくてハイハイ、と聞き流してしまう。

ちょっと猫背で歩くのはのろい。なんならこけそう。トイレにも迷うぐらい道はあやしい。

そんな80代に会うのをたのしみに、毎日病院に通っているのです。仕事をしに行っているはずなのに、なんかたのしくて癒されているのはかわいい愛しいおじいちゃん、おばあちゃんたちのおかげなのです。

人生の先輩です。
どんな人生を歩んできた人であっても、わたしの3.4倍以上この世で生きてきた人たちです。
それだけで尊敬に値します。

でもかわいいのです。
こどもよりもかわいいです。
種類が違うのかもしれませんが、わたしはおじいちゃんの方が見てて癒されます。

ギャップ萌えとかいいますが、偉大さとかわいさのギャップってツンとデレの関係より深いギャップがあるのではないでしょうか。
おじさんとかお父さんとか上司とか、おじさんぐらいの歳の人って到底かわいくなくて、むしろ怖いのに、それが齢を重ねていくと逆にかわいくなるのはなんでなんだろう。

人間の感覚とか感情ってギャップばっかりだなって思います。

認知症のじいちゃんばあちゃんが点滴抜いちゃったり、ベッド乗り出したりするのって、もう!てなるけどなんか理由があると思うと、ごめんねごめんねと思うんです。
なんでこんなことするの!から薬とか家族の付き添いとか抑制とかでなんとかしようとする先輩の対応は、看護師として社会で働く職業人として必要な思考だし、それが仕事なんだけど、
わたしはその先の理由が気になってしょうがなくなる。
何が嫌でしたか?何か気になりましたか?どこに行くんですか?
じいちゃんばあちゃんの考えてることが知りたい、理解したい。
でも現場でそんなことしてる余裕はなかなかなくて、わたしがへらへら笑ってたら周りの先輩がてきぱき対応しちゃう。

一人一人とゆっくり対話することがしたいな、と思った。

オペ後痛くて痛くて、心細くてどうしようもない子がいたんやけど夜勤は人手が足りなくてゆっくり側にいてあげれなかった。わたしは担当じゃなくて、手が空いたからたまに見に行って話し相手をしてたんだけど、こういう時に一人ぼっちってつらいやろなあって思った。

家族の都合も医療者の都合もあるけど、
その 都合 で対話がおろそかになることが多いなと感じます。
でも薬でどうにかならないことって多い。病は気からというけど、対話で気を和ませることで症状が軽減することって稀ではなくて、そこに時間を割けないことが今とてもつらい。


かわいさからわたしのエゴの話になっちゃった。
愛しいたぬきが帰ってくるのでとりあえずわたしの身体の末端にある水分量多めの筆を置くことにします。