わたしにとっての文章

こうして日記の筆をとっているとき(画面に指を走らせているとき)、わたしは自分がおもしろいことを言っているという自覚を持っている。いや、実際にいわゆる「おもしろい」ことを言っている、という自信はないのだが、なんとなく思いついたヒラメキを、書き残したい、と思うことがたまにあるのである。おもしろくないことは残さない。
 
日記に残して一人でにやけるのは問題ない、 しかし口に出し同意や共感を求めるとどうもいけないらしい、ということを最近再確認した。
いや、最近まで思っていることをほとんど口にはしなかったし、いろいろ考えているフリをして何も考えていないことも多かった。母も、婚約者も、わたしの思考、性格についてはよくわからないらしい。わたしの周りの人間で、わたしが最も信頼を置いている、はずの二人に、思いの丈をぶちまけるのだが、どうも伝わってほしいように伝わらない。彼らはわたしの懸命な話を「よくわからん」と一蹴してあまりちゃんと聞いてくれない。(そして思いの丈をぶちまける場所はここだ!と確信した。それがやはり日記というものなのだが。)

「よくわからん」と言われることが「いけない」のではないのだ。そう言いつつもわたしはただ話を聞いてくれること、共感してくれることだけを求めている気がする。
承認欲求が強すぎる。

わたしはいつもいろんなことに興味をもっているし、物事をできるだけおもしろく捉えるようにしている。だから、自分の思考回路の上で、様々な事象(それもマジョリティに従うならおもしろくないもの)のおもしろさについて考えが至った時、とても嬉しくなるしそれを誰かに伝えたくなる。


編集してみたものの、やはりうまく書けない。

おもしろいことばっかり追いかけて、わたしは芸人になりたい訳でもなんでもないのだ。