道程


わたしはずっと自分は少し病んでるから、薬のこととか、心理療法とか、に興味があるのだと思っていた。うつや精神科についてのエッセイや新書を集め、眠剤に尋常ならぬこだわりを持ち(この頃はそうでもないが)、精神論でなにもかも突破しようとする。その行為がメンヘラの世界に片足を突っ込んでいることに起因すると思っていたのだ。

しかし最近わたしの中で新たな仮説が生まれた。

どうやらわたしは精神、心理のあれこれがただ好きなのではないか?
病んでることをきっかけにするのはなんとも微妙だが、好きなら良いのでは?

しかし好きだから傾倒していく、というのと興味があってのめり込んでいく、というのは同じことではないだろうか?
興味イコール好意??

今まで薬を爆飲みしたり剃刀を手にすることもあったが、他にちょっと落ち込んだ気分を解消する術がなかったことに気付いた。友だちはいなくはないが、心の底から何かを話すことはなかったし、気分の落ち込みというのは友だちに話して解決する、というものでもなかった。
また、自分は病んでる、こんなことをするくらいだもの、と「病んでいる」ことを肯定したかったというのもある。どうにもできない不安で仕方のない落ち込みや、もやもやした気持ちを「病んでいるから」という理由で片付けたかったのだ。そうでもしないと前に進めなかった。なんでもいいから理由をつけたかった。
理由の分からないものに対しては人は嫌悪を抱く。はっきりしたものの理由がぼんやりしていても、イライラするのに、ぼんやりしたものの理由がぼんやりしていたらなおさらであろう。

まあ、どうしてん、というと、
精神科で働いてみたいのだ。
脳神経に興味があり、高齢者が好きで、今の病棟(科)以外に興味が持てなかったのだが、ここ最近そんなことを思うようになった。

暴れる患者さんもいるし、ひたすらに話を聞き続けなければいけない。多分嫌なことはいっぱいあるだろうが、転職に向けて前向きに事を考えまくっているわたしが叩き出した今の最善の策がそれである。

しかし、わたしにその気を起こさせたのは結婚云々がきっかけである。なんでもポジティブめに考えることができるようになってきた気がする。
ついこの前まで病んで病んでどうしようもないな、と思っていた。結婚なんてほど遠い話と思っていたし、一生病み続けるんだろうなと思っていた。大なり小なり病み続けるんだろうけど、大分対処ができるようになった。人って変わり続けるけど変わらない、と思ってたけど、意外と人間も、人生もわからんな、と思う。